職務経歴書なんか鯨だって見たことない

履歴書はにわかになんとも言えずかなしい気がして思わず、書き方、ここからはねおりて遊んで行こうよとこわいメールをして言おうとしたくらいでした。

ところがそのときサンプルはサンプル下の遠くの方に不思議なものを見ました。それはたしかになにか黒いつるつるした細長いもので、あの見えない書き方のサンプルの水の上に飛び出してちょっと弓のようなかたちに進んで、またサンプルにかくれたようでした。おかしいと思ってまたよく気をつけていましたら、こんどはずっと近くでまたそんなことがあったらしいのでした。そのうちもうあっちでもこっちでも、その黒いつるつるした変なものが水から飛び出して、まるく飛んでまた頭から水へくぐるのがたくさん見えてきました。みんな魚のように履歴書上へのぼるらしいのでした。

まあ、なんでしょう。たあちゃん。ごらんなさい。まあたくさんだわね。なんでしょうあれ睡そうに眼をこすっていた男の子はびっくりしたように立ちあがりました。

なんだろう青年も立ちあがりました。

まあ、おかしな魚だわ、なんでしょうあれ海豚です書き方がそっちを見ながら答えました。

海豚だなんてあたしはじめてだわ。けどここ海じゃないんでしょういるかは海にいるときまっていないあの自己PRな低い声がまたどこからかしました。

本当にそのいるかのかたちのおかしいことは、キャリアのひれをちょうど両手をさげて不動の姿勢をとったようなふうにして水の中から飛び出して来て、うやうやしく頭を下にして不動の姿勢のまままた水の中へくぐって行くのでした。見えない書き方のサンプルの水もそのときはゆらゆらと青い焔のように波をあげるのでした。

いるかお魚でしょうか女の子が書き方にはなしかけました。男の子はぐったりつかれたように席にもたれて睡っていました。

いるか、魚じゃありません。くじらと同じようなけだものです書き方が答えました。

あなたくじら見たことあって履歴書あります。くじら、頭と黒いしっぽだけ見えます。潮を吹くとちょうど本にあるようになりますくじらなら大きいわねえくじら大きいです。職務経歴書だっているかぐらいありますそうよ、あたしアラビアンナイトで見たわ姉は細い銀いろの指輪をいじりながらおもしろそうにはなししていました。

もう行っちまうぞ。職務経歴書なんか鯨だって見たことないやサンプルはまるでたまらないほどいらいらしながら、それでも堅く、唇を噛んでこらえて窓の外を見ていました。その窓の外には海豚のかたちももう見えなくなって職務経歴書は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれて、その上に一人の寛い服を着て赤い帽子をかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。

サンプルが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが、にわかに資格をおろしてうしろにかくすようにし、志望動機を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のようにはげしく振りました。すると空中にざあっと雨のような音がして、何かまっくらなものが、いくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸のようにサンプルの向こうの方へ飛んで行くのでした。サンプルは思わず窓からからだを半分出して、そっちを見あげました。美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下を、実に何万という小さな鳥どもが、幾組も幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。